スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2月, 2022の投稿を表示しています

変化をやめた人間は死んでいるに等しい

最近空時間に漫画を読むことが増えたが、どの面白い漫画にも”自発的に”局面を変えれる、いわば物語を動かすことが可能な登場人物がいるということに気づいた。 例を挙げるなら”のび太”だろう。”ドラえもん”は主要登場人物5人全員が自発的に局面を変えられる稀有な漫画だが、中でも”のび太”はピカイチだ。無限のけなされパターンに始まりひみつ道具を使って物語をいい方向にもわるい方向にも導く。 とにかく、話を動かせればなんでもいいわけで、こういったキャラクターが多ければ多いほど作者としては助かるわけである。逆に言うと”自発的に”局面を変えられる人がいない漫画は出だしはごまかせても中盤以降かなり苦労しているのを見る。”偶発的な”イベント(創作物だから作者の意図的なものだが)には限界があると思う。 そして、この”自発的”に何かができることの重要性は、現実世界でも同じなのではないかと改めて考えるようになった。 人はこの一生を通じて様々な偶発な出来事によって”選択”が迫られるという話も、個人の行動如何で変えられる部分があるという話も、もう聞き飽きたと思うし、”自発的”に何かができることの重要性の話も1度や2度じゃないだろう。 しかし一方で周りに”自発的”に何かができる人間がどれほどいるだろうか?俺はこの今までの人生を振り返ってみて、いろいろな選択が迫られてきたこともあったが、一方で”自発的に”局面を変えようとする動きは非常に少なかったように思える。 これからも選択が迫られることはあるが、一方で自分で選択できる、変えられるような局面も増えていくだろう。だからこそ、この先の人生を行きていく中で受け身であり続ける人間は取り残されるような気がする。 仕事だけの話ではない。人間関係や趣味、恋愛だったり、そもそもの生き方であったり、何においても言えるだろう。 進化をやめた人間は死んでいるのに等しい、とまでは言わないが、変化をやめた人間は死んでいるに等しいと思う。 今俺は自分の生活や人間関係の点で変化をつけようとしていて、これがいい方向に転ぶか悪い方向に転ぶかわからないが、いずれにせよ、今後をよりよく生きていくために、死なないために、自発的に何ができるか、何を変えられるか、改善できるかということを常に考えつづけたい。 しあわせは歩いてこない。だから歩いてゆくのだ。 変化をつける重要性の話をしたくて漫画を例...