プロ野球における、チームの強さを規定していたものは時代によって変遷していると考えているが、そういった類の記事がないのでじゃあ言語化してみようと思い立った。 ドラフト制導入まで(~1965) この頃は監督やスカウトが各地に足を運び、独自に交渉し、選手が球団を自由に選び入団していた。つまるところ、 お金・人脈・首脳陣の努力 がチームの強さに直結していた。 人気で圧倒していた巨人・阪神や、故鶴岡一人監督の絶大な人脈があった南海(現ソフトバンク)などが有力選手の入団に次々とこぎ着けていた一方で、広島や近鉄、国鉄(現ヤクルト)といった貧乏・やる気のない球団は選手集めに非常に苦しんだ。近鉄は1958年に130試合で勝率.238という二度と破られない記録を叩き出している。 また、チームのごたごたで多数の主力が移籍することも珍しくなかった。プロ野球再編問題(1949年)がその最たる例だ。阪神の主力であった別当薫、土井垣武、呉昌征が毎日(現ロッテ)に移籍している。現在で言えば、近本・大山・中野がロッテに無償トレードされるようなものである。 なお、FA制度の先駆けといえる10年選手制度というものがかつて存在していた。「プロ入りから10シーズン以上現役選手として同一球団に在籍した者は「自由選手」として表彰され、所属球団を自由に移籍する権利が与えられる」という制度である。 しかし、当時は選手寿命はとても短かった。特に投手に関しては先発が1年間で50試合以上登板することは珍しくなかった。先発ローテーションやリリーフが確立される前の話である。西鉄ライオンズに所属していた伝説の投手稲尾和久は1961年に78試合に登板し42勝を挙げた。勿論そういった起用の投手が長生きするはずもなく、全盛期の好投手が利用することはなかった。野手は青田昇・田宮謙次郎・本堂保次・飯田徳治ら名選手が利用することはあったものの、後述するFA制度とは異なり、チームの強さに大きな影響を与える移籍はほとんど起こらなかった。これは当時の戦力格差が著しかったのも一因だと考えられる。下位球団の野手の大半は10年プロ野球でやっていけるほどの成績を残すことができず、上位球団のベテランは特に移籍する理由がないからだ。伝説的400勝投手金田正一が1965年巨人に移籍したことを最後に10年選手制度が利用されることはなく、1975年に廃止された。...